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土井ヶ浜遺跡は本州最西端に位置する山口県の響灘に面する西海岸沿いにある弥生時代の埋葬跡です。
土井ヶ浜海岸へ向かって、東から西に緩やかに伸びる丘陵が存在しますが、この丘陵上には西風によって吹き上げられた砂層が厚く堆積しています。
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人たちはこの丘陵地を墓地とするようになりました。
かれらは体の軸がほぼ東西になるように埋葬し、しかも頭をやや高くし、顔が西側を向くように、すなわち海岸の方向へ顔を向けて葬られていました。
土井ヶ浜遺跡は昭和28年から昭和32年まで5次にわたる発掘調査がおこなわれ、当時としてはまだ出土が珍しかった弥生時代人骨が多数出土し、初めて弥生人の顔・かたちが判明しました。彼らの顔・かたちは、面長で、鼻根部が扁平で、高身長という、縄文人とは異なる容貌をしていることが明らかとなり、日本人の形質変化の研究や日本人の起源論争に大きな一石を投じることになったのでした。また、形質人類学的に貴重な資料を提供したばかりではなく、考古学的にみても埋葬の形式や方法および共同体の構成を検討する上できわめて重要な情報を提供し、人類学および考古学の研究に大きな貢献をしています。保存状態の良好な弥生人骨が300体を超えるほど大量に出土した遺跡は土井ヶ浜遺跡だけです。
土井ヶ浜弥生人など「渡来系」と称され、縄文人的特徴をもたない弥生人たちが渡来人だとすれば、彼らは「どこから」、「いつごろ」、「どのような経路で」渡来してきたのでしょうか。
中国江南地域は弥生文化に影響を与えた地域の一つとみなされています。九州・山口と中国大陸東部や朝鮮半島との距離は近く、朝鮮半島からの文化やものが九州・山口へ入ってきていることから、両地域の間では人の交流があったことが予想されます。
しかし、中国江南地域や朝鮮半島では古人骨の出土量が少ないために、両地域での比較研究が進展しておらず、渡来系と称されている弥生人たちの原郷はまだ明らかにはなっていません。
土井ヶ浜遺跡の発掘調査は昭和28年(1953年)から始まり、昭和63年まで11次にわたる調査が行われた結果、約300体の弥生時代人骨が出土しました。
これらの人骨は日本人の起源や現代人の成り立ちを解明する上での貴重な資料として活用されています。 |
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